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新宿・歌舞伎町の伝説ディスコ『ブラックシープ』回想録|新宿ディスコリスト

時代

1970年代から80年代にかけて、日本中がディスコブームに沸きました。ネオンきらめく夜の街、新しい音楽、新しいファッション──あの時代を体験した皆さんには、心が踊るような記憶があるのではないでしょうか。

今回は、そんなディスコ黄金時代の一角を彩った、知る人ぞ知る名店「ファンキィパブ・ブラックシープ」を振り返ってみたいと思います。

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新宿歌舞伎町ファンキィパブ「ブラックシープ」のマッチ

ブラックシープは、かつて新宿・歌舞伎町の一角にあったディスコ&パブ。その個性的なドクロマークのマッチラベルが印象的で、一度訪れた人の記憶に深く刻まれました。

正式名称は「ファンキィパブ ブラックシープ(Funky Pub Black Sheep)」──その名の通り、ファンキーな音楽と、他とは一線を画す独特な雰囲気で、多くの若者たちを魅了し、まさに「ファンキー」な空間でした。

ブラックシープ(Black Sheep)

新宿歌舞伎町のコマ劇場前の広場(現在のトー横)のメインストリートからすぐ近く、歌舞伎町広場の路地を入った地下エリアにありました。

  • 場所:歌舞伎町1‑27‑5 千代田ビル 地下1階 
  • 時代:歌舞伎町ディスコ黄金期の1970年代後半から80年代中頃まで
  • 特徴:地下のコンパクトな空間で、暗くて狭い。やや“やんちゃでガラが悪い”雰囲気のディスコでした。選曲が良く、生演奏スタイルも人気。ソウルトレイン風のパイプ手すりや2段床段差付きのフロア構成 で、下のダンスフロアーを見ながらフリードリンクを飲める。熱気ある若者客が集い、当時の歌舞伎町らしいディープな文化の一翼を担っていたとされる。当時はチークタイムもお楽しみのひとつでした。

近辺には「アップルハウス」「クレイジーホース」「インデペンデントハウス」などのディスコも並び、激戦区のホットスポットとして賑わっていました

大人感に浸りナンパ上等な空間

ブラックシープが人気だった理由は、その音楽センス開放的な空気。ソウル、ディスコ、ファンクといった当時最先端の洋楽が鳴り響く店内には、流行に敏感な若者だけでなく、大人の遊びを知る常連たちも集まっていました。

暗めの店内ではブランドのわからない混合ウィスキー?が提供されていて、かなり酔っ払うことが多かった記憶です。

大音量のスピーカーから流れるビージーズやダイアナ・ロス、ジョルジオ・モロダーのディスコナンバー。グラスを片手に、誰もが自由にステップを踏んでいた、まさに「大人のための遊び場+大人になりたい少年少女たちの遊び場」でした。

音楽を大音量スピーカーで浴びるので、お店を出てからも耳と脳がキーンと別世界になってました。

やんちゃで怪しいブラックシープ

ブラックシープは合い言葉のように「シ〜〜プ!」と言われていました。誰かが「シ〜〜プ」と発すると、今夜は飲んで踊ってナンパしようぜ、という感じでした。

今では跡形もなくなったブラックシープですが、ドクロのマッチラベルや当時の写真を見返すと、あの時代の空気がふっと蘇ってきます。その怪しい狂乱の空間は「グレー」ではなく「ブラック」。

地下ならではの暗さと狭さ、生バンド&ソウルトレイン風フロアによって、独特の危険で熱い雰囲気を醸し出していました。

あの頃、夜な夜なココだで合流する仲間たち、あの曲、あの夜の高揚感──今思えば、かけがえのない時代だったのかもしれません。

そんな思い出を胸に、この記事が懐かしい記憶を呼び起こすきっかけになれば幸いです。

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70〜80年代の新宿ディスコ紹介

70年代〜80年代のディスコブームイメージ

■ 新宿にあった主なディスコ(1970〜1980年代)

  • GET(ゲット)
    新宿南口と東口の間のビルの4階にあったディスコの老舗。みんなでステップを踏みながら楽しめました。ダンスフロアの壁越しに椅子がズラッと置かれていたイメージだったような記憶。入場料も安くてワンドリンク付き。まだ10代の浅野ゆう子さんが踊っていた?出会った?という話も。
  • ソウルトレイン
    名前だけでワクワクします。GETすぐそばにあったダンス上手い系の人が集ったディスコ。
  • クレイジーホース(CRAZY HORSE)
    新宿区歌舞伎町1-18-8モナミビル5Fにあり、同じビル8階に「ポップコーン」もありました。1976年(昭和51年)夜10時頃にビルのボイラー爆発で25名の重軽傷者がでました。
  • カンタベリーハウス (CANTERBURY HOUSE)
    当時のディスコブームの中で、多くの人に親しまれたディスコ。新宿には歌舞伎町のギリシャ館、ビバ館をはじめ、三号館、伊勢丹裏の靖国通り沿いにカンタベリー・ツバキハウスというチェーン店が。
  • アップルハウス
    歌舞伎町ミラノ座並び、ブラックシープ横にあったアフロヘヤーのファンキーな入口がアトラクション気分を盛り上げたファッションディスコ。フリーフード・フリードリンクで、ソウルバンドの生演奏もノリノリ。マッチのロゴデザインが好きでした。
  • インデペンデントハウス
    歌舞伎町の東亜会館6階にあったディスコ。ステップやピンクレディーなどの振付けダンス、生バンドも人気だった。フロアーが広く、いっぺんに150人が踊れた。
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まとめ

ディスコブームのイメージ画像

新宿の歌舞伎町にあったディスコは、当時のトレンドや流行の中心地であり、多くの芸能人・業界人が集まる場所でした。今回思い出せた店舗以外にも、名前の変遷や短命に終わったディスコも数多く存在しました。

70年代のアフロヘヤーのソウル輩の時代から、後に80年代サーファーディスコに変化していきます。地域的には、六本木や赤坂もディスコ文化の中心で、歌舞伎町とは異なる層の客(大人)を集めていました。

今回、ドクロの大きなサイズの「ブラックシープ」のマッチを見つけたせいで、あの頃のディスコ回顧録として記事にしました。

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